himawaritotane7's diary

日々思ったことを・・。

切に願う

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「切に願う」

「お祈り」という言葉があります。私はこれは「神様に呪文のような定型文を何度も繰り返して唱える」そんな印象が小さな頃からありました。

真の意味合いは理解してませんでしたが、世間一般が普通に持つ印象は、子供ながらに当然持っていました。例えるなら、『ジュースが欲しかったら(希望を叶えてもらいたかったら)、自動販売機に100円いれる(神様にお祈りを唱える)』という感じです。
「病気が治りますように」「合格しますように」「成功しますように」様々な場面で使われていたと思います。

しかしお金ではないのでジュースは出てきません。「願いが叶うことなんてほとんどない」ことも理解していたので、神様に「お祈り」したことで満足し、すぐに「お祈り」したことすら忘れてしまっていました。たんなる儀式化していたのです。




そんな私は、大人になったある時、ものすごく落ち込んで「なんとか自分を立て直さなければいけない」そう思う時期がありました。
「なんとかしなければ・・・」そういう気持ちが強かったのか、それを脱却するきっかけを探していたのでしょう、本屋をめぐる日が多くなっていました。そして「ジョセフ・マーフィー」という方の本に

「人は自分が成りたいと思った自分に成っていく」
というような言葉を見つけました。



私は一瞬戸惑いました。
「成りたかった自分に成れていない俺自身がここにいるじゃないか」と。
いや・・・、でも・・・、しかし・・・
私はすぐに気付き、ものすごく感銘を受けました。
「心の奥底では、こういう生活を欲していたじゃないか」と。


「人生そこそこで気楽に生きたい、努力もそこそこで」「別に人並みで充分」。そう、「私は立派に、成りたい自分に成長していたのです」(笑)。
「あ~なればいい」「こうできたら最高」と思っていたのはうわべだけで、本当の気持ちと向き合っていなかったのです。「あ~なればいい。でもメチャ努力しないといけないなら、別にそこそこでいいや」「こうできたら最高。でも気楽に達成できないなら、別にこのままでいいんじゃね?」と思う本音があったのです。





もちろん、それで現状に不満がなければ何も問題ありません。どんな生き方をしようが、人に迷惑や心配をかけなければ、その人の自由です。幸福であればそれが一番です。
ただ私はその時ひどく落ち込んでいて、なんとかしたいと思っていたのです。原因を見つけて解決し、未来をより良い方向に進めたいと思っていたのです。私は無意識のうちに状況の打開策を「切に願っていた」のです。


そしてこの本に出会い、その時初めて「お祈り」という言葉の真の意味を理解しました。
「お祈り」はお願いするものではないのです。自分に問いかけ、自分自身の気持ちを確認している作業なのです。
「切に願う」
この気持ちをわかりやすく表現したのが「お祈り」なのです。


表面上の「お祈り」をしただけでは何も変わりません。神様にお願いして何かしてもらうとは虫が良すぎます。何もかわりません。
自分の内面としっかり向き合って、本気で真剣に「切に願う」気持ちがあれば、おのずと行動に現れてきます。徐々に「毎日のルーティン」「習慣」「考え方」も変わっていき、懸命に努力する時もあれば、時には「お祈り」する時もでてきます。そうして一歩一歩、人は形成されていくと思うのです。





結果的に、私も「切に願う」ことで、この本に出会い、その後に影響するような良き考え方を学ぶことができました。仮にこの本じゃなかったとしても、何かしらの突破口にたどり着いていたように思えます。

「成りたい自分に成る」ために、まず自分の内面と毎日しっかり対峙して、
「切に願う」
この気持ちを強く強く意識していきたいと思います。